19世紀中ごろのハンガリー、一人の医者センメルヴェイスが疑問を抱きました。
「何故、出産時の産婦人科での母体と子供の死亡率は高いのに、産婆さんの所での出産は死亡率が低いのだろう?」
そこでセンメルヴェイスは、手洗いに着目しました。
「両者の違いは術前の手洗いにある!」
と確信を得たセンメルヴェイスは、医師会に通達。
しかし、当時の医師会の反応は、
「何をばかなことを!」「では、我々が手を洗わなかったから、母親と子供は亡くなっていたというのか!我々が殺していたというのか!」
と猛反発して、聞き入れてもらえませんでした。
それでもあきらめなかったセンメルヴェイスは、【手を洗いましょう】という本を出版。
その行動に怒った当時の医師会は、「とうとう頭がおかしくなった!」とセンメルヴェイスを精神科に強制的に入院させました。
それでも、自身の意見を頑なに信じていたセンメルヴェイスは、精神科病院を脱走しようとし、守衛に見つかり撲殺されてしまいました。(もちろん19世紀の話です。)
いまでは、当たり前のように手洗いをする時代。
現代では、この経験を反省し、常識にとらわれて新しい考えに対し強い拒否反応を示すことを【センメルヴェイス反射】というようになりました。
では、今の世の中で起こっている大変なことを考えてみてください。
テレビと言っていることと違う人に強い拒否反応を示していませんか?
もしくはインターネットの情報と違うことを言っている人に強い拒否反応を示していませんか?
どちらが正しいとは言いません。
(もちろん、現代医学においても同様の事が言えます。)
しかし、人の命が左右される状況が発生しているこの世の中で、意見の違いでいがみ合うのはいかがなものでしょうか?
一つの情報は、点にすぎず、点と点を結んで線となり、線と線を結んで形となる。(ゲシュタルトの構築)
その形もいずれ点となり、新たな気付き(知識)を形成する礎となる。
真実を見抜くためには、皆で話し合い、議論されて熟成された真実が人を幸せにする、と私は考えています。
今、起こっている物事を見極めるには、ニュース(ご覧のスポンサーの提供で…。の場合はスポンサーに不都合なこと、不利益になることは絶対に言わない事は理解してください。)を鵜呑みにするのではなく、経済(お金の動き)、政治、国際情勢、医学、歴史(新たに分かった真実を含め)、様々な観点から考察することが重要です。
そして、それぞれ人によって、得意な分野がある。
だから話し合って真実を見極める必要があるんです。
今、起こっている事は疫病だけの問題じゃない。
真実を追求することは、とても大事なことです。
今、未曾有の疫病騒動によって、色々な意味で人類は危機的な状況に立たされています。
「あいつは右だ、あいつは左だ。」
とか言ってる場合じゃないです。
今こそ、皆で協力し合って、何が正しいのか見極める必要があるのではないでしょうか。
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