昭和50年 松谷みよ子編著 日本の伝説(上) に収録されている「鶴の城」をご存じですか?
多くの皆様が知っているのは、【大蛇山伝説】だと思われます。
三池の名前の由来として、伝え聞いている人も多いはず。
ですが、三池の名前の由来はもう一つ、存在するんです。
少し長いですが、紹介しますね。
【鶴の城】
福岡に三池山という死火山がある。阿蘇火山脈中の一つだが、八合目から頂上までに池が3つあるので三池山といい、そこから三池群の名も、三池町の名もうまれた。この山と池には不思議な城の物語が残されている。
それは、むかし、この山に3つの池がない頃のことであった。山の頂上に城があった。このあたりは豊かに富んでいたので、あちらの国、こちらの国から城を攻め落とそうと攻めよせてきた。けれど、この山城は攻め落とされることはなかった。何故なら敵が攻め落とそうとすると、山は城を乗せたまま舞い上がり、敵が退けば舞い降りたからである。
あれよ、あれよ、腰を抜かした寄せて達は、ただ言葉にならない叫び声をあげ、そのありさまに指をさしてあきれるばかりであった。
「まるでいきもののようじゃ。」
「舞い上がり、舞い下がる様子は鶴が舞うような…。」
そこで誰いうことなく、この山は舞鶴の山、この城を舞鶴の城と呼ぶようになった。
不思議はこればかりではなかった。寄せ手はおめおめと引くはずもなく、夜の闇にまぎれ、山道を登り、夜討ちを仕掛けようとした。鼻をつままれてもわからぬ夜の中を、声を出すなよ、鎧の触れ合う音に心せよ、ようよう六合目まで辿り着いたが、さてその先はどうしても先え進むことができない。ひとあし、進めば、城もまた、ひとあし、高く、せりあがっていく。いけどもいけども、頂上へたどりつくということがない。ひとりがぞっと身を震わせて、「恐ろしか……。」とつぶやくと、すすき風が渡るようにそのささやきは伝わって、気の早いものがおびえて這いおりれば、もうそれで終わりだった。またもやなだれをうってただ一刻も早く、この山から、この城から離れようとした。
こうして戦えば必ず勝つのが舞鶴の城であった。
こうしたことがつづくうちに、城兵の心におごりがうまれた。ふしぎな力にも慣れて、足りぬところを言い立てるようになった。
「この城もいいが、水汲みがきつか。」
「天下の名城も水が出んではの。」
そんな言葉が誰ともなし、口からついて出るようになった。
ある年の事であった。城の重臣たちがふもとに降りて、茶店で花見の宴をはっていた。すると外で人の話あう声がする。
「ふしぎな城じゃの。鶴のように舞い上がり、舞い下がるというぞ。ふしぎなこともあるもんじゃ。」
すると、べつの声がした。
「まっこと、ふしぎな城じゃ。しかし、この城にもたった一つだけ欠点がある。」
「へぇ、その欠点とはどげな。」
「ま、それはうっかりいわれんな。」
歩き出したらしく、そのまま声は遠くなった。城の侍たちは顔を見合わせた。
「追え、今の男を連れてまいれ。」
家老の指図で若侍が駆け出した。ひっとらえてきたのをみれば、ひとりの修験者であった。
「おぬしはいま、この城にも欠点があるというちょったな。ききずてならん、いうてみい。」
修験者は笑って答えない。気の早い侍が刀のつかにてをかけた。すると修験者が手をふっていったげな。
「殺されるのはこまる。それでは申し上げよう。舞鶴の城では水が不自由でござろう。それが欠点じゃ。」
侍たちは顔を見合わせた。なぜ、こやつがしっちょるのか。
「しかしじゃ、水は掘れば出る。よいかな、それを掘らんでいるだけなのじゃ。その場所は、ここと、ここと、ここじゃ。」
図を引いて修験者は教えた。
「うそじゃと思うなら、そこを掘ってみなされ。今日から三十日ののち、もう一度おのおのがたにお目にかかろう。そのとき水が出なんだったらお詫びしよう。しかし、出たときは十分なお礼をいただきたい。」
そういうと修験者は立ち去った。
修験者のいうことは真っことじゃった。教えられたとことを掘ると、みるみる水が湧き出し、あふれ、ゆたかな池となった。水がないことが欠点だったこの山城に、三つの池ができたのである。城主をはじめ家来たちの喜びはひととおりではなかった。
「舞鶴の城に水が出たとなれば天下無敵よ、いままでは守る一方じゃったが、これからはあの国もこの国も攻めとって、この国に舞鶴の城ありと、名をとどろかせようぞ。」
「それにはあの修験者よ、なかなかの人物とみえた。三十日めにまたあおうというておったが、あん男ばわがほうへ引き込んで、なにかと役だててくりょう。」
そう語り合い、九州はおろかどこまでも舞鶴を舞わせてみしょうぞと夢に描いたのであった。」
こうしていよいよ三十日めの朝がきた。まだ暗いうちに、物見の兵があわただしい声を上げた。
「敵じゃ、敵が押しよせているわ!」
その声にがばとはねおきて、侍どもが下を見下ろすと、敵はすでにひしひしと城をかこんでいる。
「慌てるこつはなか、とんで火にいる夏の虫じゃ、それ、皆の者、討ってでい!」
たちまち城は舞いおりる……と思っておったのに、なぜか、山も城も、凝然と動かない。城主は動揺した。
「城よ。鶴の城よ。」
と、あわてふためき、扇をかざし、
「舞え、舞え」
と叫んだが、城は動かなかった。
「なんと、城が動かぬと!」
城兵の中に恐れが走った。ふしぎな力になれた城兵は、その力が動かぬと知ったときただ右へ左へ駆け巡るばかりであった。そのあいだにみるみる寄せ手は山をかけのぼり、かこみをやぶり、ひしひしと城を押しかこんだ。
「ちょう、しまった!」
城主が歯がみしたとき、ひとりの武将がしずしずと敵の中から進み出た。
「約束通り、三十日めにまいったでござる。水が出たお礼には、この城をそっくりちょうだいつかまつる。」
という顔を見れば、先日の修験者であった。
「さてはおぬしは……」
重臣たちはぼうぜんとした。と、その武将はからからと笑っていた。
「なにも知らぬとは気の毒な事じゃ。お身たちは池を掘ることによって、舞う鶴の、二つの羽のつけ根と背筋に傷を付けた。この城はもう飛び立つことはできぬ。さあ、約束とおりに城をいただこう。」
厳しい戦いが始まった。城兵は敵と戦いながら、一方では三つの池をうめようと土を投げ入れた。けれどどんなに土を入れても、一夜をあかすと池に水はあふれ、うめることはできなかった。そして、城は落ちた。
この日から、舞鶴の城は、三池山と呼ばれるようになった。力を失った城は見捨てられたが、ふしぎな力はみっつの池に残った。第一に、どんな夏の日でりにも、この池はかれるということはなく、第二に、この池の水をかければ、田に虫がつかなかったし、第三に、汚れた身で池の水に触れた時には、たちまち底なしの池に引き込まれるといわれた。
城をとるか、とられるかの争いの地は、こうして農民たちの心のよりどころとなった。日でりのときには、雨を乞い、稲のおいたつころには、土のかめや徳利に水を入れ、もちかえって田にそそぎ、虫がつかぬようにも祈った。そして、池をさらうときには、十五歳以下の少年が精進潔斎したのち、白装束を身につけ、奉仕したという。
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